1 甲がAの財布を持ち去った行為について、窃盗罪(刑法235条)が成立しないか。
(1) 甲は「他人の財物」たるAの財布を持ち去っている。
(2) 「窃取」とは、占有者の意思に反して、財物を自己又は第三者の占有下に移す行為をいう。
ア それでは、Aの財布の占有はAに帰属していたといえるか。占有の有無の判断基準が問題となる。
(ア) 財物の支配態様は物の形態やその他の具体的事情によって異なるため、財物に対する①占有の事実、②支配意思とを総合的に考慮した上で社会通念に従って判断すべき6である。なお、占有の有無は財物奪取時を基準に判断すべきである。
(イ) Aが財布を置き忘れた現場を離れたのは午後3時50分ころであり、甲がAの財布を持ち去ったのは午後3時50分過ぎであった。Aは午後3時55分ころには現場に帰ってきたものと考えられるため、甲はAがその場を離れてから5分以内にAの財布を奪取するに至ったものであり、Aが所持していた時点との時間的離隔は極めて小さい。
上記の事情から、Aは甲が財布を持ち去った時には、地下1階と6階とを行き来できるエスカレーターに乗っていたものと考えられ、そのエスカレーターは現場のすぐ近くにあった。それならば、現場は当時のAの場所からは見通せない場所にあったものの,甲が本件財布を持ち去る時点ではAはその場に迅速に戻ることができる範囲内にいたため、場所的な離隔は小さいといえる。
そして、Aは甲が本件財布を持ち去った時点において、財布を忘れたことに気がついており、置き忘れた場所についても明確に記憶していた。さらに,財布を回収するために現場に向かっていたため、本件財布に対する支配意思は失われていない。
(ウ) よって、Aの財布の占有はAに帰属していたといえる。
イ したがって、甲は占有者たるAの意思に反して、Aの財布を甲自身の占有下に移したため「窃取」したといえる。
(3) 甲はAの財布をCの財布であると誤解した上で上記行為に及んでいる。そのため、犯罪行為の客体についての錯誤があったといえ、故意(刑法38条1項)が認められないのではないか。
ア 故意責任の本質は、反規範的人格態度に対して道義的に非難できることにあり、規範は構成要件の形で提示されている。そこで、同一構成要件の範囲内で主観と客観とが食い違っていたとしても、規範に直面していることに変わりはないため、故意は認められると考える。
イ 本問でも、甲が持ち去った財布についてAの物と認識していたとしてもCの物と認識していたとしても窃盗罪の構成要件に該当することに変わりはないため、規範に直面しており、窃盗罪の故意は認められる。また、不法領得の意思もあったといえる。
(4) 以上より、甲の上記行為について窃盗罪が成立する。
2 甲がAから窃取したクレジットカードを用いてFから商品を購入した行為について、詐欺罪(刑法246条1項)が成立しないか7。
(1)ア 「欺」く行為とは、相手方が真実を知っていれば財産的利益の処分を行わなかったであろう重要な事実を偽ることをいう。
イ 本問では、クレジット決済が行われており、名義人本人に対する信用を制度上の基礎に据えている以上、名義人本人による使用が前提として予定されている。そして、クレジットカード加盟店は、本人以外が取引を行った場合には、信販会社から代金相当額の立替払を受けられない可能性がある。そのため、Fは甲がクレジットカードの名義人でないことを知っていれば商品を売却しなかったといえ、その意味で甲が名義人本人であるか否かは重要な事実といえる。
そして、甲は、挙動により、自身が名義人本人たるAであると偽った。よって、甲の上記行為は「欺」く行為に当たる。
(2) Fは甲の欺罔行為に基づき、甲がクレジットカードの名義人であると誤信し、商品という「財物を交付」するに至ったものである。
(3) 詐欺罪は財産犯である以上、財産上の損害が生じていることを要する。しかし、本問では、FはE信販会社から売買代金相当額の立替払がなされているため、Fに形式的には損害は生じていない。そうだとしても、Fは立替払を受けられないリスクを背負わない形で商品の売買を行うという経済的に重要な目的を達成することができなかったといえる8ため、実質的な財産的損害があった。
(4) 以上より、甲の上記行為について詐欺罪が成立する。
3 甲は売上伝票にAと署名を行い、それをFに交付しているが、この行為に有印私文書偽造罪・偽造有印私文書行使罪(刑法159条1項、161条1項)が成立しないか。
(1)ア 甲は売上伝票という「権利、義務……に関する文書」(刑法159条1項)に対して、Aという「他人の……署名」を行っている。
イ 「偽造」とは、文書作成者と名義人との同一性を偽ることをいう。甲は自身の署名ではなく、Aの名前で署名を行っているため、「偽造」したといえる。
ウ 甲は署名行為をFに交付する目的で行っているため、「行使の目的」で上記行為に及んだものである。
(2) 甲は「偽造」により作成した文書をFに交付したため、「行使した」(刑法161条1項)といえる。
(3) 以上より、甲の上記行為について、有印私文書偽造罪・同行使罪が成立する。
4 したがって、甲には①窃盗罪、②詐欺罪、③有印私文書偽造罪、④偽造有印私文書行使罪が成立する。そして、③と④とは手段と結果の関係にあるため、牽連犯(刑法54条後段)となり(⑤)、③と⑤とも同一の理由で牽連犯となり(⑥)、①と⑥とは別個の行為によるため、併合罪(刑法45条前段)となる。甲はかかる罪責を負う。
【他人への占有の帰属を否定して占有離脱物横領罪(刑法254条)を成立させる場合】
1 甲が本件財布を持ち去った行為について、窃盗罪(刑法235条)が成立しないか。
(1) 甲は「他人の財物」たるAの財布を持ち去っている。
(2) 「窃取」とは、占有者の意思に反して、財物を自己又は第三者の占有下に移す行為をいう。
ア それでは、本件財布の占有はAに帰属していたといえるか。占有の有無の判断基準が問題となる。
(ア) 財物の支配態様は物の形態やその他の具体的事情によって異なるため、財物に対する①占有の事実、②支配意思とを総合的に考慮した上で社会通念に従って判断すべき9である。なお、占有の有無は財物奪取時を基準に判断すべきである。
(イ) Aが本件財布を置き忘れた現場を離れたのは午後3時50分ころであり、甲が本件財布を持ち去ったのは午後3時50分過ぎであった。Aは午後3時55分ころには現場に帰ってきたものと考えられるため、甲はAがその場を離れてから5分以内に本件財布を奪取するに至ったものである。5分以内という時間の中では本件財布に対する支配状態は失われにくいといえる。
また、Aは甲が本件財布を持ち去った時点において、本件財布を忘れたことに気がついており、回収するために現場に向かっていたため、本件財布に対する支配意思は失われていない。
以上のことから,本件財布の占有はAに帰属していたとも思える。
しかし,以下の事情から,本件財布に関するAの占有は失われていたといえる。
大型スーパーマーケットのエスカレーターの近くにあるベンチは,数多くの人がその付近を往来するものであり,その場に物を置き忘れた場合には,占有は失われやすい。さらに,本件財布の性質にかんがみても,価値が大きく,また,形状や大きさからして,占有の移転が容易である以上は,占有は失われやすい。
Aは甲が本件財布を持ち去った際には、Aは地下1階と6階とを行き来できるエスカレーターに乗っていた,もしくは地下1階フロアにいたものと考えられるが,少なくとも6階にはいなかった。当時財布を置き忘れた現場である6階フロアは,Aがいたと予想される場所とは建物の階層が異なり,空間的に遮断されていたといえ,本件財布を見通せない場所にいたといえる。よって,Aの本件財布に対する事実的支配は失われていたといえる。
(ウ) よって、本件財布の占有はAに帰属していたとはいえない。
イ Cは本件財布から3メートルの距離にいたものの,Cは本件財布の存在に気づいていないため,Cに本件財布の占有は認められない。
ウ 甲が本件財布を持ち去る際には,本件財布の6メートル先の椅子から,D子が本件財布を注視していた。しかし,注視していたにとどまり,占有を支配したとみられる事情は何ら存在しないため,D子に本件財布の占有は認められない。
エ 本件大型スーパーマーケット内では,甲の上記行為当時は,多数の人が本件財布が置き忘れられたベンチの周辺を往来していたと思われるため,本件大型スーパーマーケットの責任者に排他的支配が認められることはない。よって,本件大型スーパーマーケットの責任者に本件財布の占有は認められない。
オ したがって,本件財布の占有は誰にも帰属していないと考えられるため,甲の上記行為は「窃取」に当たらない。
(3) 以上より,甲の上記行為に窃盗罪は成立しない。
2 甲の上記行為について,占有離脱物横領罪(刑法254条)が成立しないか。
(1) 本件財布の占有は誰にも帰属していないため,本件財布は「占有を離れた他人の物」に当たる。
(2) 「横領」とは,不法領得の意思を発現する一切の行為をいう。甲は本件財布を持ち去っており,自己の事実上の支配下においた点で不法領得の意思を発現しているといえる。よって,甲の上記行為は「横領」に当たる。
(3) もっとも,甲はC所有の財布について窃盗罪を行う意思10で上記行為に及んでおり,占有離脱物横領罪を行う意思は有していなかった。そのため,故意(刑法38条1項)が認められないのではないか。抽象的事実の錯誤が問題となる。
ア 故意責任の本質は,反規範的人格態度に対して道義的に非難できることにあり,規範は構成要件の形で国民に提示されている。そして,主観と客観とが異なる場合であっても,保護法益や行為態様から判断して,重なり合う限度においては,規範に直面しているといえるため,そのような限度において故意責任を問うことができる。
イ 窃盗罪と占有離脱物横領罪とは,いずれも財物について支配する権利を保護法益としている点で,物の領得行為を行為態様としている点で重なり合いが認められる。よって,軽い占有離脱物横領罪の故意は認められる。
(4) 以上より,甲の上記行為に占有離脱物横領罪が成立する。
Footnotes
- 置き忘れた財物に対する存否の判断要素として,①被害者が置き忘れてから引き返すまでの時間的・場所的近接性,②財物が置き忘れられた場所の見通し状況,③財物が置き忘れられた場所の状況,④被害者の意識及び行動が挙げられる。
- この部分について,被欺罔者を被害者とする1項詐欺罪を構成するか,クレジットカード信販会社を被害者とする2項詐欺罪を構成するかが問題となり得ます。今回は前者の見解を採用して答案を構成しています。
- 井田良『講義刑法学・各論(初版)』275頁。実質的個別財産説が判断として今はしっくりきています。
- 置き忘れた財物に対する存否の判断要素として,①被害者が置き忘れてから引き返すまでの時間的・場所的近接性,②財物が置き忘れられた場所の見通し状況,③財物が置き忘れられた場所の状況,④被害者の意識及び行動が挙げられる。
- 窃盗罪として構成する場合には,この点は客体の錯誤があったとして,具体的事実の錯誤が問題となり得ますが,こちらでは異なる構成要件間で食い違いが生じるケースなので,客体の所有者に対する錯誤は問題とならないと考えています(Checkpoints2)。
- 置き忘れた財物に対する存否の判断要素として,①被害者が置き忘れてから引き返すまでの時間的・場所的近接性,②財物が置き忘れられた場所の見通し状況,③財物が置き忘れられた場所の状況,④被害者の意識及び行動が挙げられる。
- この部分について,被欺罔者を被害者とする1項詐欺罪を構成するか,クレジットカード信販会社を被害者とする2項詐欺罪を構成するかが問題となり得ます。今回は前者の見解を採用して答案を構成しています。
- 井田良『講義刑法学・各論(初版)』275頁。実質的個別財産説が判断として今はしっくりきています。
- 置き忘れた財物に対する存否の判断要素として,①被害者が置き忘れてから引き返すまでの時間的・場所的近接性,②財物が置き忘れられた場所の見通し状況,③財物が置き忘れられた場所の状況,④被害者の意識及び行動が挙げられる。
- 窃盗罪として構成する場合には,この点は客体の錯誤があったとして,具体的事実の錯誤が問題となり得ますが,こちらでは異なる構成要件間で食い違いが生じるケースなので,客体の所有者に対する錯誤は問題とならないと考えています(Checkpoints2)。
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